御鎮座二千六百年、岡田宮

岡田宮について

御由緒

古代洞海、菊竹ノ浜(貞元)に熊族が祖神を奉祠した地主神で岡田ノ宮と称す。

神武天皇、日向国より東征の途次本宮に詣り天神地祇(八神)を親祭し、ここに一年留まり給う由「古事記」にあり、この処を熊手と号す。
神功皇后、三韓征討の折に熊手出岬(皇后崎)に至り、当宮に詣り八神を親祭す。これを岡田ノ三宮と称し「天」「地」「人」三才に表し神輿を菊竹ノ水門にて蓬莱、方丈、瀛州(権内裏)三嶋に捧げ神事を奉行し、在庁官人等これを輔けて行粧厳重なりと伝えられる。

古来より当地は北九州における海陸路の要(洞海舟溜、皇后崎津、太宰府官道)に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬あつく祭礼法度を定め社領十八所、末寺九坊と栄えたり。

慶長十年黒崎築城のさいに筑前六宿の起点となり、現在地御奉遷いたし、福岡藩祈年社、黒崎宿の産土神と定格され、皇后崎津の舟子を舟町(黒崎港)に移し、京阪舟便が定められ以来長崎街道参勤の九州大小名等の崇敬厚く、造営・社参奉幣等繁く、また上り下りの文人墨客等の来社数多く、現在は黒崎地域五十余町の産土神と敬仰さる。